今日の日記
2003年7月14日夜中のテレビ 一之瀬 泰造という人が映っていた
地雷を踏んだらサヨナラ とういうタイトルを目にしたことは あったけど ただそれだけ…
だのに なんで 夜中 こんなに引き付けられてるんだろう… 一之瀬さんのお母様は彼の死後 ずっと彼が撮りためていた 写真を現像し 今年写真集をだしたという。アタシが泣いたのは 彼が若くして戦場で死んでしまったからじゃない、年老いた母親が一人で息子の写真に囲まれているシーンを見た時。こんな子供に対する愛もあるんだなぁと
そして 写真集をお墓に備えた時に、短かったけど。素晴らしい息子を授かって世界一幸せだったと仰っていた。素敵なお母様だと思った。そして誰よりも息子さんのことを愛していたんだろう 母の愛は偉大だなやっぱ
そのお墓参りの最中 ネコが突然何処からともなく
お母様の傍に近づいてきた。息子さんはとてもネコが好きだったという。どんな野良ネコでも愛情込めて撮っていましたよと、そして銃弾に打ち抜かれた
カメラに収まっていたフイルムにもネコが写っていた。お母様は泰ちゃんのお使いかしら?と嬉しそうに撫でていた。その気持ちがとても解る気がする
チビの事を思い出していた。
母親はまだ中学生の頃に母親を亡くしている
父親にも色んな事情があって介護が出来ない状態だった。 だからチビが年をとって人間の年老いと
同じようなボケかたをした時 アタシはからかい半分で これじゃ老人介護だねぇと笑ったら
いいのよ 親の老人介護も出来なかったんだから
その分チビの面倒みるんだよと笑っていた。
そして たとえ犬でも ホントに大変だった
そして チビが亡くなった時 あっもしかしら
母親がチビになって会いに来てくれたんじゃないかと思い当たる節がいくつもあったことを思い出していた。アタシも話でしかしらないおばぁちゃんが
もしかしたらと思う事があったから。
犬やネコって とても不思議な縁で結ばれているような気がする。 そして泰造さんのお母様の目にも
きっと あの時息子さんの姿が重なって見えていたんだろう。ホントのところチビはどうだったのかな
時々 夜中にチビの泣き声を聞く時がある。苦しそうな泣き声を、一緒に住んでた頃数えるくらいしか
チビの泣き声を聞いいたことがなかったというのに
母親も時々居る筈のないチビの声を聞くことがあるってこの前電話で話した時に言ってっていた。
多分 今頃 チビは空の上で愉しく遊んでいるんだろう。アタシ達のほうの意識がまだ認めてないいだろう。チビが死んだコトを、悲しくなるぐらい
小さく真っ白な骨だけになってしまった姿をみても
やっぱりココロのどこかで認めてないいんだな
誰かは骨のあの白さは諦めさせる白さだと言っていたけど…
いつかは そんな声すら聞こえなくなってしまうほど思いでになってしまうんだろう…それはそれで寂しいな…
アタシは火葬された直後、真っ白な骨だけになって
しまったチビの姿を写真に収めた。弟には不謹慎だと怒られたが、どうしても撮って置きたかった
悲しみはいつかは薄れて癒される でもこんなに
悲しかったことを そのままで覚えておきたかった
たとえムリだと解っていても…そしてその写真は未だに現像でぎずにいるんだけど 給料もらったら
写真屋さんいってこようかな…
地雷を踏んだらサヨナラ とういうタイトルを目にしたことは あったけど ただそれだけ…
だのに なんで 夜中 こんなに引き付けられてるんだろう… 一之瀬さんのお母様は彼の死後 ずっと彼が撮りためていた 写真を現像し 今年写真集をだしたという。アタシが泣いたのは 彼が若くして戦場で死んでしまったからじゃない、年老いた母親が一人で息子の写真に囲まれているシーンを見た時。こんな子供に対する愛もあるんだなぁと
そして 写真集をお墓に備えた時に、短かったけど。素晴らしい息子を授かって世界一幸せだったと仰っていた。素敵なお母様だと思った。そして誰よりも息子さんのことを愛していたんだろう 母の愛は偉大だなやっぱ
そのお墓参りの最中 ネコが突然何処からともなく
お母様の傍に近づいてきた。息子さんはとてもネコが好きだったという。どんな野良ネコでも愛情込めて撮っていましたよと、そして銃弾に打ち抜かれた
カメラに収まっていたフイルムにもネコが写っていた。お母様は泰ちゃんのお使いかしら?と嬉しそうに撫でていた。その気持ちがとても解る気がする
チビの事を思い出していた。
母親はまだ中学生の頃に母親を亡くしている
父親にも色んな事情があって介護が出来ない状態だった。 だからチビが年をとって人間の年老いと
同じようなボケかたをした時 アタシはからかい半分で これじゃ老人介護だねぇと笑ったら
いいのよ 親の老人介護も出来なかったんだから
その分チビの面倒みるんだよと笑っていた。
そして たとえ犬でも ホントに大変だった
そして チビが亡くなった時 あっもしかしら
母親がチビになって会いに来てくれたんじゃないかと思い当たる節がいくつもあったことを思い出していた。アタシも話でしかしらないおばぁちゃんが
もしかしたらと思う事があったから。
犬やネコって とても不思議な縁で結ばれているような気がする。 そして泰造さんのお母様の目にも
きっと あの時息子さんの姿が重なって見えていたんだろう。ホントのところチビはどうだったのかな
時々 夜中にチビの泣き声を聞く時がある。苦しそうな泣き声を、一緒に住んでた頃数えるくらいしか
チビの泣き声を聞いいたことがなかったというのに
母親も時々居る筈のないチビの声を聞くことがあるってこの前電話で話した時に言ってっていた。
多分 今頃 チビは空の上で愉しく遊んでいるんだろう。アタシ達のほうの意識がまだ認めてないいだろう。チビが死んだコトを、悲しくなるぐらい
小さく真っ白な骨だけになってしまった姿をみても
やっぱりココロのどこかで認めてないいんだな
誰かは骨のあの白さは諦めさせる白さだと言っていたけど…
いつかは そんな声すら聞こえなくなってしまうほど思いでになってしまうんだろう…それはそれで寂しいな…
アタシは火葬された直後、真っ白な骨だけになって
しまったチビの姿を写真に収めた。弟には不謹慎だと怒られたが、どうしても撮って置きたかった
悲しみはいつかは薄れて癒される でもこんなに
悲しかったことを そのままで覚えておきたかった
たとえムリだと解っていても…そしてその写真は未だに現像でぎずにいるんだけど 給料もらったら
写真屋さんいってこようかな…
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